童磨は、漫画『鬼滅の刃』に登場する十二鬼月の1人です。
上弦の弐である彼は十二鬼月の中でもかなり強く、新参者ながら古くからいる猗窩座を追い抜いて上弦の弐となりました。
常に笑顔を浮かべ飄々とした態度の童磨ですが、作品のファンからはサイコパスと言われることもあります。
今回は、そんな童磨は人の時もサイコパスだったのか、童磨の過去にせまります。
童磨の過去は、何巻/何話でわかる?
童磨の過去は、いくつかに分けて語られます。
最初は、16巻142話にて幼き童磨が『万世極楽教』の教祖となる話が語られます。
続いて、18巻160話にて伊之助の母親との関わりが語られます。
最後に、19巻163話にて、過去とはやや逸れますが人間の感情についての童磨の思いが語られます。
童磨は人の時からサイコパス?
童磨の過去は、人間時代の幼い頃からはじまります。
幼い頃から賢かった童磨は親に合わせ、神の声が聞こえるふりをして万世極楽教の教祖として振舞います。
振舞いつつ、ただの子供である自分に頭を下げ「辛い苦しい」と嘆く大人に、憐むような感情をいただきます。
本当に賢い子供で、世の中のことを悟っていたことがわかります。
そして、鬼として死ぬ間際には、死ぬことが怖くない、結局最後まで人間としての感情は夢幻だったと童磨は言います。
人間だった頃から人の感情はなかったという童磨は、やはり人の時からサイコパスなのかもしれません。
伊之助の母親との関係は?
童磨の過去は、伊之助とも関係があります。
伊之助の母は、童磨が教祖をしている極楽教に訪れていたのです。
暴力を振るう旦那から、逃げてきたところを童磨に拾われて極楽教で暮らしていました。
しかし、童磨が信者を食べているところを見てしまい、極楽教の寺院を飛び出してしまいました。
逃げた先の崖で母親は童磨に殺されますが、赤ん坊だった伊之助は母親が助けるために崖から落としたのです。
童磨は、伊之助の母親のことを食べるつもりはなく、傍に置いておく予定でした。
しかし、この理由も愛しているからではなく、心の綺麗な人が傍にいると心地よいという理由からでした。
最後に…
童磨の過去は、悲しい出来事のはずなのに彼自身はまったく悲しそうじゃないところが不思議です。
両親が死んでも、大切に傍に置いていた人を食べてしまっても、涙を流していても、どこか悲しそうじゃないのは人の感情がわからなかったからだったんですね。
人の時からサイコパスな、童磨ですが最後の最後に1つだけ感情を知ることができたみたいです。
童磨などについてもう少し知りたい、という方はこちらをどうぞ!
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